2024年12月31日火曜日

2024年12月31日の聖句

この神は世々限りなく私たちの神。
私たちを導いて行かれる。(申命記48:15)
イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)

主イエス・キリスト。このお方ご自身が私たちのための道になってくださいました。私たちはキリストの後に従えば、道を失うことがありません。迷ってしまうことがない。ですから、私たちの見るべきはただ一つ。
「キリストは今、何をしておられるのか。」
ただそのことだけにこの目を向け、キリストが今いらっしゃるところで、キリストが今しておられることを一緒にさせて頂きましょう。
自分を見つめて、反省して、改善点を洗い出して・・・。ということも多少は役に立つかもしれません。しかしそれ以上に、私たちには見上げるべきお方がおられます。私たちはこの目を自分から離して、真理そのものでいらっしゃるキリストに向けます。自分の耳を、内なる声よりも主イエス・キリストの言葉に傾けます。真理はキリストから来るからです。
キリストは今何をしておられるのでしょうか。キリストは今日も進んでいかれます。命の御業を行うために。キリストは「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、私は宣教する。私はそのために出てきたのである(マルコ1:38)」とおっしゃいます。このお方に従いましょう。後についていきましょう。命の福音を私たちも証ししましょう。このお方こそ、私たちの道であり、真理であり、命でいらっしゃるお方です。私たちを導いてくださる、私たちの神です。

2024年12月30日の聖句

我らの主は大いなる方。
力に富み、その英知には限りがない。(詩編147:5)
幼子は成長し、強くなり、知恵に満ち、神の恵みがその上にあった。(ルカ2:40)

神の素晴らしい英知は幼子イエス様の上に留まっています。この素晴らしい御言葉を、私たちは心に刻みたいと願います。この世にもたくさんの知恵があるし、素晴らしい力がたくさんあります。しかしそのどれもが主イエス・キリストという神の知恵を求めているし、このお方こそが知恵そのものです。
先日NHKスペシャルで「量子もつれ」という番組を観ました。ご覧になった方もおられると思います。とても面白い内容でした。難しすぎてあまりよく理解できませんでしたが、アインシュタイン以降の物理学の大きな謎とされた量子力学について解説してくれるものでした。目に見えない小さな世界の出来事にこの世界の成り立ちの謎が込められているというのはロマンに溢れているし、ワクワクします。
そういう世界そのものをお造りになった方を、私たちは神と崇めています。この世界は神の手で造られた。主イエス・キリストにあって創造された。「万物は言によって成った。言によらずに成った物は何一つなかった。(ヨハネ1:3)」だからこそ、私たちはこの世界は素晴らしいと何の留保もなしに信じることができます。この世界にはキリストという命の言が響いているから。この世界の何よりの秘密は、イエス・キリストという神の知恵そのものだから。
私たちの目に見えるものも見えないものも、キリストという神の知恵によって生み出されました。この神を崇め、私たちの一日が刻まれていきます。

2024年12月29日日曜日

2024年12月29日の聖句

今週の聖句:
私たちは栄光を見た。父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネ1:14b)

今日の聖句:
小鳥さえも住みかを見つけ、つばめも巣をかけて、雛を育てています。万軍の主、わが王、わが神よ。(詩編84:4)
狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。(マタイ8:20)

主なる神さまは果てしなく大きく、慈しみに満ちたお方です。だから、小鳥は神の手の中で住みかを見つけることができるし、つばめが巣を作って雛を育てることもできる。私たちも同じ神の慈しみの中で生かされています。
ところが、主イエス・キリストだけが、その神の慈しみから外に出て来てくださいました。このお方は飼い葉桶を寝床とし、十字架の上に頭を垂れたのです。小鳥もつばめも、狐も養ってくださるお方、私たちを生かしてくださるお方は、ご自分の独り子キリストだけをお見捨てになり、陰府に捨て置かれました。
私たちが崇めるお方は、この捨てられた神の子イエスです。このお方にこそ神の栄光が、神の慈しみが輝いている。ここに救いがある。私たちはそう信じて、十字架にかけられた神の子を信じ、礼拝しているのです。

2024年12月28日の聖句

弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。主はその行いに報いてくださる。(箴言19:17)
与えなさい。そうすれば、自分にも与えられる。人々は升に詰め込み、揺すり、溢れるほどよく量って、懐に入れてくれる。あなたがたは、自分の量る秤で量り返されるからである。(ルカ6:38)

新約の御言葉を読んで、すごくハッとさせられました。「自分の量る秤で量り返される」と主イエスはおっしゃいます。私が人を量り、判断して見せる自分のもっている秤。実はそれで自分自身が量り返される。人を小さく見積もって与えることが小さければ、その人があなたに与えてくれるものも小さいだろう、と主イエスはおっしゃいます。本当に、その通りです。人間関係というのは、そういうことなのだと思います。
しかしこの言葉を主イエスがおっしゃったからには、これは単なる人間関係の秘訣ということではとどまらないと思います。主イエスさま御自身が無限に与えてくださったお方だからです。主イエスは私に先立って、私の小さな秤を壊すほどにたくさん与えてくださいました。キリストが与えてくださったものは、どんな秤を持って来ても量りきることができない。誰よりも私の升に詰め込み、揺すり、溢れるほどによく量って、懐に入れてくださったのはキリストご自身です。だからこそ、「与えなさい」と主イエスは命じておられるのではないでしょうか。

2024年12月27日金曜日

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3)
また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13)

すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとっての幸せに他ならない希望。私たちの望み。私たちは神からいただく望みを抱くことで、幸せをいただいている。なんと心躍る言葉でしょう!
私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光が現れること、それが「幸いなる希望」です。私たちはキリストをお待ちしている。救いを待っている。私たちを救うために再び来てくださるキリストをお迎えすることこそ、私たちに幸いを得させる希望です。
誰だって幸せになりたいと思っているでしょう。しかし一体どこに幸せがあるのか。現代的な考え方に従えば、幸せの形は人それぞれであって、何を幸せと感じるかは人によって違う。それを尊重すべきだ、ということになるかもしれません。確かに一面その通りであって、幸せという極めて内面的なことに対して、例えば国家のような権力は口を挟むべきではないでしょう。しかし他方で思います。現代は「人それぞれ」を突き詰めた社会です。どうもその結果、何が幸せだったのかがよく分からなくなってはいないでしょうか。
聖書は、私たちの幸いなる希望はここにある、とはっきりと言います。あなたの救い主であるイエス・キリストの栄光が現れること。これに勝る幸いはない。私たちのための神の愛そのものでいらっしゃるキリストに、私たちの幸いは全部詰まっている。この幸いは、すべての人のための幸いです。すべての人を救うためにキリストは来てくださる。その事実を私たちは信じる。ここに幸いなる望みがある!この福音の言葉を携えて、今日の日を歩んでいきましょう。

2024年12月26日木曜日

2024年12月26日の聖句

私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30)
今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11)

天使が羊飼いたちに向かって宣言した「今日」は、この御言葉を聞く私たちにも「今日」出来事となって、新しく響きます。「あなたがたのための救い主」が私たちの間に生まれてくださった。私たちは救い主をお迎えしている。福音の言葉に私たちが耳を傾ける度に、神さまが始めてくださったこの出来事が現実となります。
「私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。」私たちの主メシアでいらっしゃるお方。このお方は私たちと共にいてくださるお方。私たちの神でいてくださるお方。私たちはこの神の民です。この2024年のクリスマスに、その事実を改めて覚えたいと願います。
「私が主」というのは、神さまの力強い宣言です。この世界には本当にたくさんの「主」と名乗るものがいます。私たちの主(あるじ)のような顔をして私たちを支配しようとする。しかし私たちはイエス・キリストを私たちのために与えてくださったお方を、そしてキリストご自身を主とお呼びし、このお方に従います。ここにこそ私たちの本当の幸せがあると信じているからです。

2024年12月25日水曜日

2024年12月25日の聖句

私はあなたがたを私の民とし、私はあなたがたの神となる。(出エジプト記6:7)
私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどれほどの愛を私たちにお与えくださったか、考えてみなさい。事実、私たちは神の子どもなのです。(1ヨハネ3:1)

クリスマス、おめでとうございます。
主なる神さまは私たちに御子をお与えくださいました。この世界は、御子がお生まれになった世界です。私たちが生きているのは神の子が来てくださった世界です。私たちをご自分の民とするために、神の子が私たちの間にお生まれになった。「私はあなたがたを私の民とし、私はあなたがたの神となる。」私たちはキリストをくださった神を「わが神」とお呼びし、この神を信じる者であることを誇りとします。私たちは神の民。もはやヘロデの民ではなく、アウグストゥスの民でもない。この世界で生きているかぎり私たちはこの世に立てられた秩序の中で生きている。しかしそれ以上に、私たちは神の国の民です。神の国からこの世界に遣わされている。キリストが来てくださったように、私たちも。
神は私たちをご自分の子どもとしてくださいました。神の子を迎えて、私たちも神の子にして頂いた。今日はクリスマス。神の民、神の子どもとしての喜びを新しくし、神さまの御前に新しい人生が始まる一日目です。

2026年10月18日の聖句

今週の聖句: 何が善で主は何を求めておられるか。 公正と慈しみを愛し行って、謙遜に神と共に歩むことである。(ミカ書6:8) 今日の聖句: この場所に私は平和を与えるーー万軍の主の仰せ。(ハガイ2:9) (イエスの言葉)「こう書いてあるではないか。 『私...