2025年9月1日月曜日

2025年9月1日の聖句

9月の聖句:
神は我らの逃れ場、我らの力。(詩編46:2)

今日の聖句:
今日までしてきたように、あなたがたの神、主にのみ付き従わなければならない。(ヨシュア23:8)
ある人たちの習慣に倣って集会をやめたりせず、かえって励まし合いましょう。かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(ヘブライ10:25)

ヘブライ人への手紙が誰の手で書かれ、誰に宛てられたのかは定かではありません。もともとは何通かの別の手紙であったものがつなげられて今日のかたちになっている、と考えられているようです。しかも、それも元は教会で実際に語られた説教から生まれたのではないか、という説があるようです。
手紙の受け手が誰なのか確たることは分かりませんが、迫害下の教会であったことは内容から想像されます。教会で集まって礼拝を献げるということ自体に大きな困難を覚えていた教会で語られた説教。それがヘブライ人への手紙ではないか、と推測されている。
そうすると、今日の箇所の意味もよく分かります。「ある人たちの習慣に倣って集会をやめたりせず、かえって励まし合いましょう。」教会の集会に行くことを止めてしまう仲間たちが実際にたくさんいたのでしょう。礼拝や祈りとは異なる習慣が教会の中にはびこってしまった。しかし「かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」と呼びかけます。「かの日」というのは、キリストが再び来られる日です。主イエスをお迎えする日を待ち望んで、共に祈って生きていこう、と励ましているのです。
私たちは、私たちの神である主にのみ付き従いましょう。他の何者でもなく、ただ主イエスさまに付き従い、主の憐れみの中を生きていきましょう。ここにこそ救いがあるし、慰めがあります。主イエス・キリストの恵みと祝福が今日もあなたにありますように。

2025年8月31日の聖句

今週の聖句:
神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお与えになる。(1ペトロ5:5b)

今日の聖句:
すべて主に寄り頼むものはさいわいである。(詩編2:12)
キリストにあって、私たちは、キリストの真実により、確信をもって、堂々と神に近づくことができます。(エフェソ3:12)

「キリストの真実により」です。主イエス・キリストが真実な方でいらっしゃるから、私たちは神に近づくことができる。キリストが私たちを神に近づけてくださったからです。キリストの真実は、私たちを神のものとするということにおいてその力を発揮なさいました。主イエス・キリストの真実が私たちを救ってくださいます。
キリストの真実によって、私たちは「確信をもって、堂々と神に近づくことができます」という、この「堂々と」というのも本当にすばらしい言葉です。コソコソではありません。神さまに怒られないかビクビクしながらでもない。私たちは大胆にも堂々と神に近づくことができる。神の御前で神を礼拝し、祈り、大胆に信じ、堂々と生きることが許されている。ですから、キリスト者とは、自分らしく生きることのできる人、と言っても良いと思います。
主に寄り頼んで生きていきましょう。自分には神に頼る必要なんてない、自分の力で生きることができる。そのように言う人もたくさんいます。自立して生きるということ自体はとても大切なことでしょう。しかし、本当に、何にも寄り頼まずに生きられる人がいるのでしょうか。自分だけの力で、堂々とした確信を死ぬまで持ち続けることができるのでしょうか。キリストの真実に頼るというのは弱い者であるかのようで、実は自分の弱さに真摯に向き合い、自分の力を超えたものに対する誠実な畏れをもって生きる強いあり方ではないでしょうか。
キリストの真実があなたを生かしています。今、もう既に。あなたが生きているのはあなたの内に生きるキリストの真実によるものなのです。

2025年9月1日の聖句

9月の聖句: 神は我らの逃れ場、我らの力。(詩編46:2) 今日の聖句: 今日までしてきたように、あなたがたの神、主にのみ付き従わなければならない。(ヨシュア23:8) ある人たちの習慣に倣って集会をやめたりせず、かえって励まし合いましょう。かの日が近づいているのを見て、ますます...