2025年1月2日木曜日

2025年1月2日の聖句

人を恐れることは破綻を招くが、主に頼る者は守られる。(箴言29:25)
小さな群れよ、恐れるな。あなたがたに御国をお与えになることを、あなたがたの父はお喜びになったのだから。(ルカ12:32)

新しい年が始まりましたが、だからといって社会が突然よくなったり、明るくなったりするわけではありません。十年ほど前、私の息子が生まれたころのことです。ある方が、この子が大きくなったときには日本の社会は一体どうなっているのだろうととても悲しい顔をなさっていました。10年経って、あのときのあの方の見方は杞憂であってよい方向に向かっている、と言えるのか。残念ながら、そうではないと感じる人の方が多いのではないかと思います。日本は経済的には貧しくなり、新しいかたちの犯罪が生まれ、SNS空間には憎悪と罵詈雑言が溢れています。国際社会の中での日本のプレゼンスは日を追う毎に低下し、観光客が行きやすい適度な観光資源があるお手頃な国になりました。政治からは高邁な倫理観も理想も聞こえてこず、利権にしがみつく与党と批判だけしていれば安泰の野党がかたちばかりの論争を行っています。彼ら彼女らの姿こそ、私たち国民の民度そのものです。私たちの孫子の時代、この社会は一体どうなっているのでしょう。
私たちは、この世界にあって、本気になって神を信じて生きなければなりません。そうでなければ、一体誰がこの地の腐敗を防ぐ塩となり、この世を照らす光となるのでしょうか。私たちには、自分の小ささを嘆いてみせるような余裕はありません。神は私たちに御国をくださっているのですから、私たちは今ここで神の国に生きることに本気でなければならないのです。
「人を恐れることは破綻を招くが、主に頼る者は守られる。」主に頼りましょう。本気で頼って生きていきましょう。この世界で、神の国に生きていきましょう。神はこの世界に新しい民をお作りになりました。人々がバラバラになり、混乱し、不信に溺れるこの世界に、神を信じ、キリストの愛の生きる新しい民を生み出してくださったのです。小さな群れよ、恐れるな!主イエス・キリストは私たちと共にいてくださいます。

2025年1月1日水曜日

2025年1月1日の聖句

1月の聖句:
(イエス・キリストの言葉)「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈りなさい。」(ルカ6:27~28)

今日の聖句:
まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じることを語れ。(エレミヤ1:7)
(パウロの手紙の言葉)私は福音を恥としません。(ローマ1:16)

預言者エレミヤはまだ若いときに神から預言者になるようにと命じられ、その働きに仕えました。しかし彼はまだ若かったですから、神さまに訴えました。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者に過ぎませんから。」エレミヤの言い訳です。
私はだんだんと「まだ若い」という言い訳ができない年齢になってきて、ひしひしと実感します。それでも言い訳は無限にある、と。若ければ「まだ若い」と言い訳をしたくなるし、若くなくなれば「まだ未熟」と言い訳する。それならもっと年を重ねたときには「年を取り過ぎた」と言い訳をするに違いありません。私たちはどんなことだって言い訳をする理由にするのです。しかし、神はそれを認めてはくださいません。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じることを語れ。」私が若いことも未熟なことも、年をとったことも、神は全てをご存じです。その上で命じておられるのです。「言って、語れ」と。
むしろ、急所はパウロが言うとおりです。「私は福音を恥としません。」私たちはただただ神のくださった福音を恥とせず、福音に仕え、福音を証しする。そのことだけです。それだけです。若ければ若いなりにそれをさせて頂けるでしょうし、年齢を重ねていればその年に応じて、男であっても女であっても、他のどんな個性も神が用いてくださいます。その個性をお造りになったのは神さまですから。
私たちに求められていることは、ただ忠実であることだけです。そのただ一つだけ。私たちはキリストを信じ、キリストを愛し、キリストに仕える。キリストの証し人として。

2025年の聖句

2025年の聖句:
すべてを吟味し、良いものを大切にしなさい。(1テサロニケ5:21)

今年の聖句は、私たちを「吟味」へと導きます。私たちの信仰は「鰯の頭も信心から」ではありません。何でもやたらめったら信じればいい、ということではない。私たちの信仰は吟味と矛盾しません。すべてを吟味し、良いもの、大切にすべきものを識別すること。それが、信じるということです。
この世界には「良い言葉」が溢れています。「もっともらしいこと」もたくさんあります。私たちの心を奪う美しい言葉がいくらでもある。しかし、私たちは事柄を吟味し、本当に尊ぶべきことを尊び、大切にすべきことを大切にする。
その判断の基準は、主イエス・キリストです。キリストが今しておられること。私たちはただそのことだけに心を向け、キリストが喜んでくださることだけに心を砕く。そのためには、虚心坦懐に御言葉に聞き、絶えず祈らなければならないでしょう。だからこそ、私たちは共に祈るし、共に御言葉に聞く。共に献げる礼拝の経験の中で、私たちは事柄を吟味するための識別心を養います。
キリストは、私たち人間の一人になってくださいました。私たちに完全に同情することがおできになる方です。しかしその同じキリストは、独り子なる神ご自身です。この世界に先立って、造られずに生まれた神さまそのものでいらっしゃいます。聖なるお方です。この「まことの神、まことの人」でいらっしゃるキリストこそ、私たちの識別の基準でいらっしゃいます。このお方の聖なる愛に照らされて、私たちのこの年の歩みをはかり、キリストに従う者となることを私たちの願いとしたいのです。

2025年1月2日の聖句

人を恐れることは破綻を招くが、主に頼る者は守られる。(箴言29:25) 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたに御国をお与えになることを、あなたがたの父はお喜びになったのだから。(ルカ12:32) 新しい年が始まりましたが、だからといって社会が突然よくなったり、明るくなったりするわけ...